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今日から、宮崎帰省。 [旅行]

今日から宮崎帰省です。
目的は、まぁ実家への顔出しとユーミンの福岡公演に参加するため。

毎年正月を避けて帰省しているので、毎年この時期になってます。
例年より1週間くらい早いけど、今年は福岡や熊本、出来れば大分の宇佐に行ってみたいとも思っているので、うまく時間を使わなければ!!

どうなる事やら。


京都・奈良 社寺仏閣巡り 45 嵐山周辺 [旅行]

京都を代表する観光地のひとつ。
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嵐山は桜や紅葉の名所であり、日本さくら名所100選に選定されているそうですが、真冬のお正月には咲いている訳もなく兎に角寒かったです。
京都市街の西に位置し、平安時代に貴族の別荘地となって以来、京都の代表的な観光地となっているそうです。現にもう人がてんこ盛りでした。嵐山の中心部を流れる桂川にかかる渡月橋は嵐山の象徴になっている。なお渡月橋をはさんで上流が大堰(おおい)川で、下流から桂川となる。

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元来は寺社めぐりや紅葉などの景観が観光の主体であったそうなのですが、1980年代には渡月橋の北側を中心にタレントショップが急増し、修学旅行生など若い観光客で賑わう一方で、雰囲気が破壊されるとの批判も相次ぎ、バブル崩壊後はこうしたタレントショップは減少傾向にあるそうです。
まぁ、タレントショップはこんな観光地には全くいらないお店ですね。

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で、いよいよ次回は京都五山の第1位の寺院へ向かいます。


京都・奈良 社寺仏閣巡り 44 春日大社周辺 [旅行]

奈良の春日大社は兎に角広大な敷地内を有していました。
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この鳥居、あの厳島神社の大鳥居と並ぶ、日本三大鳥居のひとつ。

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春日大社は、奈良県奈良市にある神社で、旧称は春日神社。
式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「下がり藤」。

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全国に約1000社ある春日神社の総本社であり、武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから鹿を神使としています。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている事で世界でも有名な社。

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ここからひたすら歩いていきます。

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ひたすら、ひたすら、歩いていきます。行かれるなら本殿下に設けてある駐車場まで車の方が楽です。

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茶屋さんもこの日はお休み。

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国宝

建造物
本社 本殿 4棟

美術工芸品
金地螺鈿毛抜形太刀
沃懸地(いかけじ)獅子文毛抜形太刀 中身無銘
沃懸地酢漿平文(いかけじかたばみひょうもん)兵庫鎖太刀 中身無銘
沃懸地酢漿紋兵庫鎖太刀 中身無銘
金装花押散兵庫鎖太刀 中身無銘
菱作打刀 中身無銘(附 杉箱)
赤糸威鎧 兜、大袖付(梅鶯金物)
赤糸威鎧 兜、大袖付(竹虎雀金物)
黒韋威矢筈札胴丸(くろかわおどしやはずざねどうまる) 兜、大袖付(2013年3月修復[1])
籠手
本宮御料古神宝類
若宮御料古神宝類

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重要文化財(国指定)

建造物

本社
中門
東御廊
西及び北御廊
捻廊
幣殿
直会殿
移殿
宝庫
廻廊 5棟
南門
慶賀門
清浄門
内侍門
車舎
着到殿
竈殿
酒殿
板蔵
一の鳥居 - 気比神宮と厳島神社の大鳥居に並ぶ「日本三大鳥居」の一つ
摂社若宮神社 本殿
摂社若宮神社 拝舎
摂社若宮神社 細殿及び神楽殿
摂社若宮神社 手水屋
旧春日大社板倉(円窓)(奈良県所有)(奈良公園内所在)

美術工芸品

木造舞楽面 皇仁、新鳥蘇、地久、納曾利、崑崙八仙(ころばせ) 5面
木造舞楽面 納曾利一、新鳥蘇三、散手一、貴徳鯉口一、採桑老一 7面
だ太鼓
亀甲蒔絵手箱
秋草蒔絵手箱
禽獣葡萄鏡 春日金竜社伝来
古神宝銅鏡(附 黒漆八稜形鏡箱) 16面
竹虎双雀方鏡
藤花松喰鶴鏡
菊造短刀
梅花皮(かいらぎ)腰刀
柏木兎(かしわみみずく)短刀
太刀 銘備州長船住家助 永享八年二月日
錦包太刀 中身銘助行
金銅柏文兵庫鎖太刀 中身銘□次
三鈷柄籐巻剣
赤銅造太刀 友成作
黒韋威胴丸 兜、大袖付
鉄三十六間四方白星兜鉢及鎧金具(てつさんじゅうろっけん しほうじろ ほしかぶとばち)
鉄十八間二方白星兜鉢及鎧金具
鉄二十八間四方白星兜鉢及鎧金具
石燈籠
石燈籠(柚木燈籠)
紙本墨書楽所補任
紙本墨書楽書
春日神社文書

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この春日大社は、鬱蒼とした春日山原始林に囲まれていて、静寂に包まれていました。

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以上が奈良の社寺仏閣巡りになります。
ここから京都に戻り、あの有名な観光地に行きます。

奈良も、まだまだ行きたい場所がわんさかあるので、次回は今回めぐることの出来なかった場所を巡りたいと思います。

では、また次回。



京都・奈良 社寺仏閣巡り 43 東大寺 その2 [旅行]

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奈良の大仏様を跡にして向かったのが正倉院でしたが、現在修復中で拝観不可のため、仕方なく若草山の方へと進みました。次の目的地は二月堂です。

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二月堂へ向かう参道を登っていきます。
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雰囲気の良い廊下を上がって行くと
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国宝:二月堂
旧暦2月に「お水取り」(修二会)が行われることからこの名がつきました。
二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火には焼け残ったとされていますが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物になるそうです。本尊は大観音、小観音と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏だそうで、建物は2005年12月に国宝に指定されました。
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この存在を全く知らなかったので感動でした。
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国の文化財:三昧堂(四月堂)
開山堂の隣にあるのが三昧堂で、旧暦四月にここで法華三昧の行が行われたため、俗に四月堂と呼ばれるようになったそうです。
法華三昧とは、天台宗における四種三昧の一つである「半行半坐三昧」のうち、法華経に基づいて行われる行のことで、1021年に創建されたのだそう。その後、鎌倉時代に再建されるが、その後、鎌倉・室町期の古材を用いて1681年に改築された。現在は、1903年に法華堂(三月堂)から移された千手観音立像が本尊となっているが、かつては普賢菩薩像を本尊としたため、普賢堂(ふげんどう)とも呼ばれていたそうです。

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国宝:法華堂(三月堂)
「天平時代の宝石箱」とも称される法華堂。熱心な仏像ファンのみならず、初めて訪れる人をも魅了してやまないそうです。
安置される仏像のうち14体が奈良時代のもので、いずれも傑作揃い。
慈愛で包み込むような眼差し、深い思索を促す眼差し、射すくめるような鋭い眼差しは、見る者の心の奥にまで、真っ直ぐ届いてくる。ここでは時計の針を遅らせて、一体一体とじっくり相対したい。
また法華堂は東大寺の中で最も古い建築物である。聖武天皇は728年、1歳に満たずに亡くなった基親王(もといしんのう)の菩提を弔うため、金鐘山房(きんしょうさんぼう)を建立し、9人の僧侶を止住させる。この中の1人は、後に初代別当となる良弁だ。金鐘山房はその後、東大寺の前身寺院とされる金鐘寺として発展しました。
寺伝によれば、法華堂はこの金鐘寺の遺構と伝わっていて740年〜747年ごろに建立されたと考えられ、東大寺の創建より遡るお堂なのだそう。本尊は不空羂索観音。
この法華堂、元々は2つの建物で、右が檜皮葺きの礼堂、左が瓦葺きの本堂(正堂)だった。鎌倉時代に、礼堂が重源によって再建され、その後さらに、礼堂を入母屋造りに改築して2棟をつなぎ、現在のような1棟になったそうです。向かって左が奈良時代、右が鎌倉時代ですが、時代の異なる様式が見事に調和し、美しい佇まいを見せているそうです。

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法華堂のすぐ南に鎮座する手向山八幡宮は、明治の神仏分離の際に東大寺から独立するまで、永らく東大寺と一体で、その始まりは東大寺創建にまで遡ります。
聖武天皇は749年、大仏造立の守り神として、宇佐神宮(現在の大分県)から八幡神を勧請したそうです。これは、八幡宮から初めての分社となる。八幡神は当初、平城京の南の梨原宮(なしはらのみや)に鎮座した後、東大寺大仏殿近くにある鏡池(八幡池)に遷座。以来、東大寺の鎮守となりました。1180年の治承の兵火の際、平重衡による南都焼討ちによって焼失するが、1250年に北条時頼が再建し、現在の地に遷座されたそうです。
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ここから、次は世界遺産の春日山原始林を抜けて、春日大社に向かいます。



京都・奈良 社寺仏閣巡り 42 東大寺 その1 [旅行]

いよいよ東大寺です。
大体の方が高校生の修学旅行で行かれるのですが、僕の学校には修学旅行なるものがなかった為に、初見になるのですよ。
開門前に中門までは行ったので、ほとんど人はいませんでした。いたのは鹿くらい。

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世界文化遺産:東大寺
東大寺は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。
金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である[2]。現別当(住職・221世)は、筒井寛昭。
奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けられた。
東大寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されました!

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国宝:南大門
平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。東大寺中興の祖である俊乗房重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様ともいう)を採用した建築として著名である。大仏様の特色は、貫と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられる。
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門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重文)を安置する。上層の正面中央には「大華厳寺」と書かれた扁額が掲げられていて、これは古い記録にそのような扁額があったと書かれていたことに基づき、2006年10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて新調されたものだそうです。
凄い迫力ですよね!
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で、南大門をしばらく歩くと・・・

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国の重要文化財:中門
重要文化財。金堂(大仏殿)の手前にある入母屋造の楼門(2階建ての門)。享保元年(1716年)ごろの再建。中門の両脇から「コ」の字形に回廊が伸び、金堂の左右に至る。

で、その先に

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国宝:金堂
当初の大仏及び大仏殿は、聖武天皇の発願により、8世紀に造られたものであったが、その後2度の兵火で焼け落ち、現存する大仏殿は江戸時代の再建。大仏は台座と袖、脚などの一部に当初部分を残すのみで、体部の大部分は中世の作、頭部は江戸時代の作だそうです。
聖武天皇は天平15年(743年)、大仏造立の詔を発した。当初、紫香楽宮の近くの甲賀寺で造立の始まった大仏は、その後現在地の奈良で改めて造立を開始。天平勝宝4年(752年)に開眼供養が行われた。治承4年(1180年)の平重衡の兵火で大仏殿は焼失、大仏も台座や下半身の一部を残して焼け落ちた。その後、大仏と大仏殿は重源の尽力により再興され、文治元年(1185年)に大仏の開眼供養、建久6年(1195年)には大仏殿の上棟供養が行われました。この鎌倉復興大仏も永禄10年(1567年)の松永・三好の合戦によって再び炎上したそうです。しかし大仏殿の再建はすぐには実施されず、大仏は仮修理の状態のまま、露座で数十年が経過したのですが、江戸時代になって公慶上人の尽力により大仏、大仏殿とも復興しました。現存する大仏の頭部は元禄3年(1690年)に鋳造されたもので、元禄5年(1692年)に開眼供養が行われ、大仏殿は宝永6年(1709年)に落慶したものだそうです。
遂にご対面です。奈良の大仏様と(^^)
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国宝:東大寺盧舎那仏像
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東大寺大仏殿(金堂)の本尊である仏像。一般に奈良の大仏として知られています。
聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われたが、大仏は中世、近世に焼損したため大部分が補修されており、建立当時の部分はごく一部である。「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されています。
本当に大きな大仏でした。
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国の重要文化財:虚空蔵菩薩像
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国の重要文化財:如意輪観音菩薩像

大仏様の両脇に厳かな仏像が安置されていました。
東寺や国宝館に鎮座していた仏像に比べると、ふんわり優しい顔をしている気がします。

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広目天像(金堂西北隅)
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多聞天像(金堂東北隅)
大仏様の後方2箇所に、四天王のうちの広目天像と多聞天像が安置されていました。

兎に角、規模が違います。

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国宝:金銅八角燈籠
大仏殿の正面に立つ燈籠。総高464センチ。たびたび修理されているが、基本的には奈良時代創建時のものである。火袋羽目板4面には楽器を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)像を鋳出する。4面の羽目板のうち西北面と西南面が当初のもので、東北面と東南面はレプリカである。東北面の羽目板は1962年に盗難に遭い、直後に発見されたが、その後はオリジナルは別途保管し、燈籠にはレプリカを取り付けている。東南面の羽目板のオリジナルは早くに紛失した。
金堂の前にぽつんと佇むこの燈篭までもが国宝なんですよ。

他にもたくさん国宝や重要文化財がありましたが、それはまた次回。


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